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HISTORY

About the origins of the company

会社の成り立ちについて

初代 新井行雄

1946年広島高等師範学校(現広島大学)中途退学、後に社有不動産のパル新宿となる東京都新宿区大久保2-5-2にて総合不動産業、有限会社リサーチを設立、代表取締役 就任1965年1月30日国土庁に本邦初の不動産鑑定士として登録 翌年1966年11月1日公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会会員となり1971年から1993年迄の22年間、同連合会の常務理事・理事等また東京地方裁判所 土地鑑定委員、日本地所株式会社 鑑定部長などを歴任。1970年株式会社リサーチへ組織変更1974年10月25日商号を株式会社日比谷不動産鑑定事務所、本店所在地を東京都千代田区内幸町2-2-3日比谷国際ビルチング2-201とした。1978年9月30日事業拡大に伴い本店を東京都千代田区丸の内3-4-1新国際ビルチング808へ移転。日本国有鉄道(現JR東日本)から大宮駅再開発地の不動産鑑定を拝命 

1970年代後半、当時の日本債権信用銀行頭取、後のあおぞら銀行頭取の穎川史郎氏と出会い、日本の金融界のトップ、すなわち三井信託銀行歴代社長の川崎誠一氏、中島 健氏、藤井 健氏、西田敬宇氏、元あさひ銀行会長、現りそなグループ会長の田中 正氏らに対しはっきりと自分の考えを言えた。名だたる銀行のトップの面々ではあるが行雄は融資先でもなんでもないひとりの男であった。ただその彼の発する言葉と人柄は強大な組織のトップとして君臨する彼らの孤独で孤高な感性には極めて新鮮で先見性に優れ身分は違えど懐刀としてまことに大切にされた。事実当時プライベートな問題に深く悩む三井信託銀行の次期社長候補中島 健氏が政治家のモーニングパーティーにおいて正気無くスピーチをする姿を見て当時の立場では分布相応ではあるが叱咤激励の檄文の手紙を中島氏へとしたため、その言葉に中島氏が強く胸を打ち、その後熱く親交を深めたことはあまり知られていない。

不動産鑑定業務を行う傍ら地元の世田谷区赤堤にある元々北沢用水として地域住民に利用されていた北沢川の河川は都内住宅地としては希少の600メートルに及ぶ直線道路であることなどに着目し、当時の世田谷区長である大場啓二氏、東京都副知事の貫洞 哲夫氏及び続 訓弘氏らとともに北沢川の緑道化へと尽力した。地域住民と地方行政とが幾度となく話し合いを丁寧に行い透明性を確保し事業を進めるとしたこの緑道化計画事業は今でも地方自治体のモデルケースと言われている。

通りの植栽木については桜、いや銀杏などの案も根強くあったがユリの木を植え、名称はユリの木公園となり行雄は管理協定団体ユリの会初代会長を拝命した。彼の強烈なリーダーシップゆえ会の創成期にはさまざまな誤解やもちろん賛同もあったが、いまでは地元の方々の誠に心強い協力のおかげもあって、ユリの木公園は季節ごとにその遊歩道に注ぐ太陽の陽や雨や風をうけても凛として佇み人々を包んでいる。世田谷百景受賞 世田谷界隈賞受賞 

行雄の晩年は、胆嚢を患い持ち前のパワフルな活動がおもうようにいかず、親族以外にも事業承継者を熟考したが長女なぎさは目黒区中目黒の所有ビルにて矯正歯科医師としてクリニックを経営しており行雄より41才年下で当時銀行の本店にて修行中の長男清人を一兵卒の社員として迎え入れ一から不動産経営哲学を教え込んだ。1997年1月14日 蜜柑をいつもより多く一人楽しく食べ就寝しそしてその翌朝の1997年1月15日安らかに永眠した。

現代表 新井清人

1993年株式会社日比谷不動産鑑定事務所入社後先代行雄が他界するまでの4年間行雄の側で不動産賃貸業のいろはを学んだ。清人は幼少期から厳しく行雄に躾けられ窮屈ではあったがそれは決っして誰からも習えない宝物であった。1997年先代に代わり同社代表取締役就任、商号を株式会社レアルタへと変更し、丸の内の新国際ビルヂングから所有不動産であるレアルタ赤坂ビル東京都港区赤坂3-15-4  4Fへと本店を移転した。

2006年リーマンブラザーズから数億円の融資を受けるため合同会社コルサを設立。縁あって母校立教大学近くの土地を購入、積水ハウス株式会社施工にて同年10月Corsa Ikebukuroを竣工。翌々年の2008年9月リーマンショックによりリーマンブラザーズが破綻。債権者が新生銀行そして東京スター銀行と譲渡され翻弄の日々を送った。

その当時、収入は莫大だか手元に残る現金が少ない事実を真剣に悩みそのことを人に問いても驚くことにシンプルには誰一人答えてくれなかった。

ただ自分自身でわかったことがある。至極当たり前な事柄ではあるが不動産の賃料収入というものは賃料変化の遅効性すなわちある程度長期的に安定しておりそこから金融機関へ毎月の返済額がこれもまた超長期的に決まっている。賃料収入ー金融機関へローン返済=会社の手元に残る現金。ならば無数の賃借人様へ賃料を上げる交渉をするより金融機関と交渉し毎月の返済額を減らせばおのずと残る手元現金は増える。もっと言うならば債務額が大きい=金融機関は金利収入が極めて大きい、ならば尚更金融機関は交渉に前向きに取り組んでくれる。なぜなら他の有利な条件の金融機関へと借り換えをされては困るし、もちろん苦しくて破綻されるのも困るのである。さらに言うなら賃料収入の敵である空室のリスクを回避することと同時に長期に安定した賃料収入を得るために昨今極めて評判の悪いサブリース会社との契約をも敢えてチャレンジすることも必要だということである。つまりサブリース契約においてはそのときどきに管理戸数を増やしたい事情を持つサブリース会社は真剣に探せばあるのでありその場合契約条件についてある程度無理な条件を提示したとしても管理戸数を増やすためにはその条件をのんでくれる可能性があるわけで、そこでサブリース会社へ希望額を素直に伝えて極限値の交渉をするのである。実際それぞれのサブリース会社のもつ事情はさまざまであり真剣に探せば条件の合う会社はあるのである。こうして金融機関とサブリース会社とのさまざまな出会いがあり2021年にはCorsa Setagayaを竣工。2024年世田谷区赤堤の自宅を縁あってご近所の松竹株式会社プロデューサー圡田眞樹氏奥様の優子氏に売却し彼等にユリの木通りの未来を託し奈良県北葛城郡王寺町久度へと居を移した。同年合同会社コルサを株式会社Corsaへと商号及び組織変更し本店所在地を豊島区上池袋とした。

出逢えた方々に恵まれ、運良く今があると思っている。

株式会社Corsa
代表取締役 新井 清人